マスターの酔いどれ紀行
三度の飯より潜るの大好きマスター。ニューヨーク陸ダイバー生活から伊豆の海に帰る。年中潜れる生活って、やっぱ素敵。


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石碑・石碑・石碑
ここ数年探しているものがあって出動。

でも違った…
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横田保の業績を称える碑。
誰かと言うと、この石碑の道路挟んではす向かいは百里園という明治期の茶園跡地なんだが、その関係者。

で、こっからが今回長いっす。そして文字が多い。
フィールド調査と図書館調査の結果であるから、読者としては我慢されたい。

石碑と言えば神社。三方原神社に行ってみました。
今回の主役、気賀林の石碑。
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気賀林(1810~1883)。気賀村の豪商であり、三方原開拓の民間の代表者で、初代百里園長である。失業士族800戸の三方原入植を支援し、茶園の開拓を成功させた。
…とあるが、気賀と言えば領主旗本近藤家のことは大いに喧伝されるが、豪商気賀家ねぇ。んで、三方原に残っていたボロボロの気賀門の記憶。う~ん、何か繋がらないのである。

とりあえず、三方原神社にお参り。
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荒野であった三方原にあるこの神社。明治維新で維持が困難になった浜松城内の東照宮を移したものとされる。勝海舟書の扁額があるというが、ま、そこはさらっと。
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敷地内にも石碑が。
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「横田保経営の百里園製茶工場は、隆盛の時期もあったが、やがて経営不振となり、明治35年、遂に工場閉鎖となった。工場閉鎖によって大打撃を受けたのは、120ヘクタールの茶園の処理であった。この全茶園がもし帝室林野営理局に買収されると、苦心、努力して開拓した茶園は、当局の方針により松林と化し、村の衰退を招くことは必定となった。篤志家、大久保牧太、横山義珍、斎藤幸次郎、中村太郎三郎、大原則政、大石和吉、原川通徹の七士は深くこれを憂い、全園を購入して住民に分割し、各戸の所有にするよう、万難を排し、努力を重ねて、断固この方針を貫徹することができた。こうして開拓地を交配から守った七士の功績を称えて、昭和2年、この碑が建てられた。」

ん~、なるほど。では気賀林は?

図書館に籠もって調べました…
気賀家家祖の気賀宗保は、今川氏家臣で桶狭間の合戦で戦死。徳川の遠州侵攻に対して、気賀氏、また姻戚関係にあった岩井氏は徳川と和睦。その中、竹田高正は気賀住民とともに浜名湖湖北の堀川城に立て篭もり徹底抗戦したが、最後には数百人撫で斬りの上、晒し首。竹田の遺児は、気賀の地に農民として土着していくが、この竹田氏と姻戚関係にあった気賀氏もまた気賀の地に豪農郷士として定着し、やがて庄屋的存在となっていく。

江戸期に入り、井伊家の家臣であった近藤家が気賀の新領主として治めるようになると、気賀という郷名を名乗ることを憚り、岩井氏と改姓する。気賀近藤家は交代寄合の旗本で、気賀関所を管轄。領主ではあるが、旗本として江戸にも屋敷があったはずで、地元郷士とは自ずと維新後の地元密着度が異なる。岩井家は特産の畳表を扱い、豪商として近藤家に経済的援助も行っている。

気賀林は、1810年竹田家に誕生しているが、岩井久永の養子となる。1824年元服して岩井宜徳を名乗る。1827年家名である半十郎を称し、岩井半十郎宜徳は内野村横田保兵衛茂の四女を娶る。この頃、畳表の商売は隆盛で気賀呉石の河岸には土蔵が並んだという。1848年半十郎改め荘右衛門宜徳。元服した子には半十郎を譲り、半十郎宜辰。その嫁は木船村の平野又右衛門の姉。1849年林右衛門宜徳に改名。1856年宜徳の四男智四郎を嫡子の無かった半十郎宜辰の養子とする。1859年半十郎宜辰は荘右衛門、智四郎は半十郎に改名。同年浜松大工町に気賀屋開店。1863年智四郎、当主亡くなった分家主として鷹四郎宜敦を名乗る。それに伴い、荘右衛門宜辰は半十郎宜辰に戻る。

1869年(明治2年)他有力者とともに浜松と浜名湖を結ぶ運河開削を建議し、1871年には堀留運河として完成。浜名湖北岸に拠点を持つ気賀にとっては、水運の道が開けたことは大きな意味があったであろう。

気賀林第二の事業として、三方原開拓を建白し、1869年三方原開拓掛に岩井林右衛門(岩井林)、三方原開拓掛介岩井半十郎、同断岩井鷹四郎任命さる。これにより、三方原開拓に乗り出すことになる。

1870年岩井林(林右衛門から林を名乗る)還暦を迎え、県令林厚徳より三富翁を賜る。1871年岩井より改名し、気賀姓を名乗り、気賀林となる。この年、三方原にジャガイモが植えられる(三方原ジャガイモの始まり)。1873年気賀林、金原明善、横田保ら平民7名、堀口勘蔵、間宮鉄次郎、原良平ら士族3名が三方原開墾願を出す。百里園長気賀林、副園長間宮鉄次郎、金原明善が任命さる。1877年救貧院を創設。

1877年、井上延陵、平野又十郎、金原明善ら有力者と共に尽力し、浜松第二十八国立銀行発足。気賀林は最高出資者として副頭取に任命される。当時の国立銀行とは、国の法律に則った銀行であることを示す。浜松第二十八国立銀行は、後の静岡銀行に合併される。1879年気賀半十郎宜辰、第二十八銀行取締役に任命されるとともに、初代引佐・麁玉郡長を拝命する。銀行業務多忙とともにわずか3年の任期の後、1882年気賀半十郎宜辰没。二代目引佐郡長は俳人・報徳思想家として有名であった松島十湖であった。気賀林は1883年74歳で没している。気賀家の浜名湖北岸の別荘は、その後昭和初期に気賀家の手を離れ、日清紡などを経て戦後平野繁太郎所有(現在平野社団)となる。
この別荘が、プリンス岬の今上天皇家のリゾートに活用されることになる建物である。

1887年、気賀林を継いで横田保が百里園製茶工場を落成させる。百里園は当時としては大製茶工場となり、緑茶だけでなく烏龍茶、紅茶、甜茶も生産していたとのこと。ところで、横田保の長男保平に気賀家の種が嫁ぐが、長男保平が亡くなる。横田保は分家である四男虎治に家督を継がせようとするが、結局種が相続し、横田と気賀の関係は微妙に。横田保は虎治宅に身を寄せる。横田虎治は後に百里園を継ぐことになるが、百里園経営を破綻させる。これが先ほどの七士の話となる。

ここまで全部読んだ人はお疲れ様。
一部、上記年譜の年は間違ってるかもしれぬので、ご容赦(細かく裏取ってない)。

ということで感じたことは、豪商同士の姻戚関係がすごいなってことと、名前コロコロ変えるなってこと。

で、神社の辺りを中心に失業武士800名が入植。
過酷な農作業に明治中期には54戸まで激減する有様。

こちらは唯一残る入植士族の屋敷。
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土塁に囲まれた造りが特徴とのこと。
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姫街道と環状線が交差する辺りのこちら、気賀林が開設した救貧院跡。
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維新後の混乱と過酷な開拓生活による赤貧者を救済するため設立。
百里園が破綻するまで活動していたらしい。

ところで、この近くに気賀林の屋敷の長屋門が永らく残っていたが、気が付いたら無くなっていた。バスの車窓からよく眺めた門である。当時は廃墟にしか見えんかったが、今となってはどうにもならん。 

んで、三方原古戦場の石碑がある霊園にあるこちら。
入植士族の代表者、間宮鉄次郎の碑。
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「間宮鉄次郎は、明治初年、三方原へ入植した士族800戸の代表者である。幕末期の剣道の達人。京都武徳殿の審判も勤めた(※)。浜松勤番組頭取のほか、三方原では茶園開拓を成功させて百里園副園長、学区取締、学務委員、戸長、区長など幅広く活躍。明治27年、笠井に道場を開いて、門弟800余名を養成した。大正4年、三方原村で没し、享年85歳。」
※京都武徳殿は平安時代の故事に因んで平安神宮の一角に明治32年竣工。つまりこの話は、笠井に道場を開いた後ということになる。

う~ん、小説書けそう。
金原明善一色な静岡西部っすが、当時は各地方でこんな話が転がってたわけね。
読者諸氏、お疲れさま。

秋です。
暑くたって秋。

ほら。
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植え付け二年目にして生りました。

ふ~む、イガイガ。
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で、結構大振りなのが一ヶ。
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どうしたらいいでしょうか。

伸びゆく浜松
いやぁ、いい。
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いいなぁ、果物屋ととらや。
沢庵入りのお好みで有名なんだが、行ったことないや。
そのうち行きます。

そんなもんです。

こっちより早く、サゴーが閉店、解体とか。
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バブル期の浜松、一世を風靡しましたが、そうですか。
こちらは解体前に、階段部分を見学してみたいなぁ。
戦前からの建造物ですからねぇ。

早くも改装のこちら。
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最初のコンセプト、煮詰めが甘い。
もちがつおのお土地柄ですから、タタキ屋を誘致すればよかったのに。
そうか、その手があったか。

1億1000万のさびゆく浜松モニュメント。
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赤錆からちょっと黒っぽくなった?でもそういう問題?

さ、バスで帰ろっと。

バール
図書館で時間調整。
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高校時代に通ってた人も多かろうが、私は思い出一切無し。

ということで、今回はバールに出動。
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え?予約無しでいいんですか?満席なんですか?
今ひとつはっきりしない店員さん。不慣れなよです。
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タパス盛り合わせと選択したのは、とりあえずビール。
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980円で飲み放題となるシステムなのだが、飲み放題コースには泡の出るやつが選択肢に入ってないから。
それと、これ見よがしに置かれた生ハムを。
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う~ん、塩味足りない。

突き出しとしてパンが付いてきてお替り自由なのだが、ついてくるのは小学校給食のマーガリン。
えっとぉ、オリーブオイルと塩・コショウがテーブルに置かれていたならば、合格。
…と言いたい。でもそれは叶わない。

なぜなら、980円のワイン飲み放題コースに、つまみは突き出しのパンとオリーブオイルと塩・コショウがあれば、他に何もいらないからだ。(あくまでも私見である)

あ、ただ、アンチョビとガーリックが利いたチーズソースの彩り野菜のバーニャカウダはお勧め。
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他にはレバーのパテとか、とにかくパンに合うつまみを見出すのが攻略のコツかと。

え~い、いっそのこと、スペインかイタリアに行こうではないか。
バールとは何ぞやを調べに。

岩屋緑地
岩屋緑地の展望台。
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あ、眼下を新幹線が通過。

これだけ眺めがよく、太平洋も一望となれば…
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本土決戦の要塞であったことも納得。
豊橋から浜名湖に掛けて防御を固めていたのは、第73師団。
展望台のあった頂の裏手は榴弾砲陣地跡。

で、今回探しているのは、重機関銃陣地跡。

見つかったのは、観音さんと先ほどの展望台との間の鞍部のこれ。
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岩に三方が囲まれた部分に不自然なコンクリ。

その表側の岩表面部のこちらにもコンクリ。
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チャート岩をくり貫いた出入り口と銃眼と考えられる。
チャート岩とは放散虫が堆積して出来た岩石で、とっても硬いのだ。

こんなものを作って米軍上陸に備えていたとは。
これが忘れようとしている現実だ。

遠州射場再び
六角形コンクリ台座にボイラー用油タンクと言えば…
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以前ご紹介した遠州射場跡っすが、引込線のホーム跡の位置が確認取れたので再度出動。
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この辺りの古めの建物は、かなりの確率で射場施設の転用。
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砂地を開墾しての現在サツマイモ畑。
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射場として接収された後にも、作業のため立ち入りして被害者が出たとも。
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住宅が密集している一角に、こないだ未発見のコンクリ発見。
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この木造廃屋も元は射場の倉庫かと。
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なんとなれば、発見したホームの延長線上にピッタシの位置。
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にしても短いホームだなぁ。
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背後のこの木造建造物も転用されたものか。砲廠跡だという。
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見事に民家に組み込まれた火薬溶触炉室跡。
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これだけまとまったコンクリ遺跡群も貴重。
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んで、防空壕トンネルを潜り抜けて海岸に出てみれば、風力タービンの列。
前回もこんなに立ってたっけ?
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自然エネルギー利用だなんて、気軽に言うな。
現実は既にこうだ。

ちなみに、風車列のどん詰まりに浜岡原発が見える。
遠州射場の元弾着点なのである。
米軍の射場に再接収される危機を乗り越え、結局こうなった。

さらにちなみに、福島第一原発は海軍飛行場跡地。
そういうもんなのである。

あ~、暑い…
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9月だよ、もう。

中島飛行機原谷地下工場跡
天浜線、掛川も程近い原谷駅。
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えっとぉ、姫野駅って…
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TVドラマ「ウォーターボーイズ2」のロケ地に姫野駅として登場していたらしいのだが、知らん。
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ということで軽くパスして、原谷駅の東側を通る県道40号線を少々南に下り、県道81号線を東に。
お!あれだ!
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土嚢でふさがれた地下壕。
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敗戦まで日本を代表する飛行機会社であった中島飛行機は、1942年エンジン増産のために浜松工場建設に着手(現在のTHKリズムの前身)。1944年に試作エンジンが完成し、新鋭「誉」エンジンの製造開始。しかし、それもつかの間、空襲の対象となるや、この原谷に地下工場を建設し、エンジン工場の疎開を図った。

結局地下工場は完成せず、エンジン生産には至らず。
数多くの地下壕だけが残されている。

いやぁ、掘りやすい砂岩層とはいえ、無茶するなぁ…
狂気の熱意を感じますな。

ところで、いくら秘密地下工場ゆうても、こんな鉄道駅からぞろぞろ数百人も毎朝毎夕通勤したら、もろバレだったのでは?そういう問題じゃないのかなぁ。

ならここの湯
1ヶ月ぶりに草刈りして汗べっとべとっす。
最近、ご近所温泉で見事失敗してますから、こっちへ行ってみましょう。

うちから1時間強、掛川市北部、原野谷川沿いの居尻。
掛川バイパスの西郷ICから真っ直ぐ北に向かったところですね。
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で、ここはそもそも居尻地区が開設したキャンプ場。
1995年に第三セクターとして「ならここの里」となる。
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んで、2003年に「ならここの湯」併設。
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どうよ?

内湯と露天のみというシンプルな構成だが、混み合うわけでもなく、非常によろしい。
湯はしょっぱいナトリウム塩化物泉。

もうちょっと気軽に行ける距離だといいんすがねぇ。

久々の家電
トースターが壊れました。ヒーターが発熱しません。
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う~む、ばばっちくなってるからそのまま廃棄でもいいんだが、まずは分解。
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各部の抵抗をチェックしても原因把握できず。
あぁ、気持ち悪いじゃないか!

あ…
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電源コードの挟み込みで、断線している模様。
う~ん、どうしようかと思ったが、発熱する家電だし、自力修理断念。
なにより、んなもんに労力と修理資材費は投入できんという判断。

というプロセスを踏み、我家で何年かぶりに購入した家電。
トースター1980円也。

八名温泉
1年ほど前から気付いてはいましたが、温泉の看板。
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ノロノロ台風が思った以上に進まず、予定が狂って代打に出動。

この辺では珍しく鉄分で真っ赤な湯ということで、どれどれと。
ただ、お湯は源泉からローリーでピストン輸送しているとのこと。
赤いということは、空気に触れて酸化してしまっているということの現れ。

がしか~し、んな能書きたれようが、たれまいと、やっていなくちゃ話にならん。
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1993年創業というから温泉ブームに乗っかって、乗り切れなかったということかしら。
温泉ネタでなく、コンクリネタに分類すべき代物。
結構シュールだったという噂に、残念です。

ところで、その近所にある赤錆が出る源泉ってのはどこだったのか?

追記:
台風12号の日のことをアップしたせいか、本日15号が浜松に上陸。
久しぶりに東風から西風への吹き返しと明確な目を体験。5階ガラス窓かぶりつきで。
帰りは信号が停電しとりました。

電卓
30年愛用している電卓が動きません。

カシオ渾身のプログラム関数電卓で、その後継603Pはつい最近まで販売されている。
理系学生に関数電卓必須で、私の時代にはポケコンが主流になっていたが、これで押し通した。
これ以上大きくなると、持ち運びが不便ですから。
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で、今だとノートPCが学生さんの必須アイテムなんでしょう。
ただ、試験には持ち込み不可でしょ?
そんときゃどうすんの?やっぱ電卓?
(電卓持込可の試験が結構あったように記憶するわけ、当時)

で、電池交換で何事もなく動き出しました。

松平
三河の奥には、松平という地がある。

後の将軍家、徳川氏の始祖である松平氏の領地。
地方豪族であった松平家に居着いて娘婿となった松平親氏が徳川家の始祖とされるが、なぜその前が無視されるかはわからん。男系という意味で、そうなるのか。

まぁいい、その親氏が祀られる東照宮。
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こんな電柵がこれみよがしに設置されたのどかな田園風景(最近これが普通である)を上っていくと…
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松平家の菩提寺、高月院。
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と、これ蛇だねぇ。
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いや、これも蛇だ。
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いやいやいや、実際ブヨ?も凄くて、立ち止まっていること不可能。
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駆け足でした。

ちなみに公園が整備されてるのだが(現時点、草ボーボー)、司馬遼太郎が文句たれたとか、たれなかったとか。

んなことより、バス停でたむろしてた松平高校の生徒さんたち、徳川ファンに刷り込まれてるのかなぁと思ってみたりして。えっとぉ、私はアンチ徳川でしたけどね。まぁどうでもいいんです。

名鉄三河線三河広瀬駅
豊田の郊外、北東に位置する三河広瀬駅。
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あれ?電車が来ない。
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というのも当然で、2004年名鉄三河線の山線と海線の末端部、廃線。
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豊田、知立、刈谷とそうそうたる日本の企業が立地している地を結ぶ鉄道ながら、ちょっと離れると不採算路線ということだったらしい。郊外に大規模宅地を開発しても、基本、車社会なんでてこ入れは難しいのかもしれない。

で、ホーム脇のこちら。
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廃線レールを利用したレールバイク。
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土日のみ利用可。
残念。

んで、土日には駅舎に店が出て、人が集うということ。
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そのうちまた出動です。
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海線側は、高架橋を造っておいてあっさり廃線したとか。
どういうこと?

トヨタ博物館-下
三階へ。
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入場料1000円もしたんですから、前後編に分割してお送りします。

こちらは国産車の歴史。
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外車のKDとかライセンス生産から始まった黎明期だが、純国産技術に拘った取り組みもあった。
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フライングフェザーに…
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フジキャビン。
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どっちも同じ設計者だが、どっちも失敗。

こちらは同時代の成功者達。
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大衆車の双璧。
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この辺りがピークかなぁ…
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あとはつまんなくなる一方。

で、別館があって、こっちは各時代の世相を反映した展示。
あ、ご先祖様だ。
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通勤途上の自動車屋で売ってるなぁ…これ。
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お、これ、ご存知ソープボックス。
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完璧にやっつけでお送りしましたが…

ところで、20年20万km走破のカプチ君車検。
排気管交換、リアコンビランプ交換含め、25万円也。
おぉっ!ヒストリックカー仲間入りってか、それ以前によく部品があったなっと。

考えさせられます。

トヨタ博物館-上
トヨタ博物館。
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昔のもの、特に産業関連物収集保存に関してそれほどご執心でない我国にあって、金字塔。

国産初の量産車、AA型レプリカ。
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さらに遡ること、最初期のガソリンエンジン車たるベンツパテントモトールヴァーゲン。
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この時期、すでに後の機械的要素はほぼ完成されていたことを再認識。
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って、この団体さんは…エンジニアには見えないなぁ。

んで、ガソリン内燃機関が最初から順風満帆だったかと、蒸気機関、電気自動車と競っていた時代。
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右の青い車体の電気自動車は、航続距離80km。
う~む、現在に至るまで全く進歩ないじゃん。

ちなみに燃料電池は、さっきのベンツに遡ること50年前に発明されてる。
ベンツの10年ほど後には、原子物理学の出発点となるα線とβ線が発見されてる。

都合により時代はちょっと飛んで…

ブガッティタイプ35B。
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スーパーチャージャー装備。

フィアット500。
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車なんてこれでいいじゃん。
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というか、現在このような魅力的な車があるかといえば、否。

そして、大きく重く、しょうもなくなっていく。
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あ、こりゃ映画にもなりました、タッカー。
真偽のほどはともかく、同じような構図で「誰が電気自動車を殺したか?」なんてのもありました。
さらにさらに、米国の市街地電車網も同じ運命とか。

まぁよい、話が逸れました。
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車離れとか言われてますが、黙ってスポーツカー。
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これです。
荷物とか、定員とか考えちゃダメ。

JRリニア・鉄道館
夏休みシーズンが終わったんで、出動してみました。
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で、入ってみてこの光景。
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え?三両?

もちろんメモリアルな三両なわけだが、まずは国産最大最速の蒸気機関車C62。
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C58辺りを見慣れた目には巨大に見えるが、大陸横断用は遥かスケールが違う。
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新幹線300X。
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エポックメーキングという意味では、0系展示がいいのではとも思うんだが…

300系に続く技術開発に使われ、通称300X。
700系に繋がったという意味では、反対側のカスプ形先頭車両(米原に保存)。

でもその隣がやっぱりカスプ形のこれだから、変化が欲しかったか。
JR-Maglev MLX01-1。
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超伝導磁気浮上式リニアモーターカーの試作車。
この博物館の命名からして、中央リニア新幹線の建設を大いに意識してるのかなと。

で、展示はこの三両だけに非ず。
この展示室の裏に回ると…
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おぉ…新幹線だらけ。
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ほ~ら、こんな新幹線の裏側も。
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幸せの黄色い新幹線。
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ドクターイエローこと新幹線電気軌道総合試験車。

で、東海道新幹線に二階建て車両ってあったっけ?
東日本のMAXならともかく。
ましてや食堂車だったとは。

日本最大HOゲージジオラマ。
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そして、ウリはやっぱりこれかなぁ。
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新幹線シミュレータ。
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入場料払った上に、抽選の上、500円。
抽選にすら参加せず。

それより車掌シミュレータって…何だ?

で、ようやく再会。
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この博物館、前身は佐久間レールパークと言われているが、意外に移設された車両は少ない。
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移設されなかった車両は、解体廃棄されてる。
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ま、引越しでもないと家が片付かんわけやな。
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それにつけても入場料1000円は痛い。
レールパークは基本無料でしたからね。

それぞれの過ごし方
例の帆布屋、三男が裁判に勝ってオリジナルの店舗も再開して一件落着。
と言いたいところだが、四男が自前ブランドを立ち上げ、未だ混迷中。

元々四男は、三男が新聞社から転職してくるまで例の店のデザイナーだったわけで、あの有名なタグは四男作。でもまぁそうは言っても、デザイン成果物は会社に帰属するわけだからなぁ。

でも、高校生の時に買ったバッグは三男が転職する遥か前のことだから、そういうことか。否、言いたいことはそうじゃなくて、そのバッグがどうしても見つからんぜぇ。島本須美サイン入りなのにぃ。

ということは全く関係なく、一足先に帰宅した私はテレビ見てビール。
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カミさんは、国立競技場でサッカー観戦。
そのよに動員されたにも関わらず、残念ながら空席目立つ。

そいえば、ロチェって女子サッカー強いんだよねぇ。
やっぱり人気はそれほどでもなかったけど。

西伊豆大瀬崎~866-868本目
夏休み最終日。
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大瀬に始まり、大瀬に終わる。
天気悪いけど。午後から豪雨の予報。

さぁ、潜れるうちにと外。
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カメラに興味を示すキタマクラ。
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波浪を避けて大川下だが…

気を取り直し、湾内。
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着実に南方系の魚は増えてる。

それはそうと、こんな時期まで産卵してましたっけ?
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美味そうだ。
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さて、海水浴エリアで仕切られてるんで、グルッと回りこまにゃならん側へ。
湾内では比較的珍しいんじゃないですか?
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それはネジリンボウとヒレナガネジリンボウが同じ穴にいると聞いたから。

あ、居た!発見。
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ヒレナガの方がおっとりしとりますなぁ。
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このペア(?)は寄れる。

シラスイワシが湧いていて、カンパチがしきりにアタック。
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もうちょっと水がよければ…

こういうのは根付きのアジってぇ~んですかね?
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こやつらは回遊する気無しのようっす。

で、潜りの間は辛うじて雨セーフ。
帰りの国一は大変なことに…

そうだ、沼津に吉田温泉って発見しました。
冬のダイビングの帰りにでもレポート予定。

銀ブラ
銀座。
交番で聞いてみたり。
探してるものがあって来たんだが、結果果たせず。
通貨危機のバカヤロ~~~!!

まぁいい。

ここ、アバク○。
入口の、まだやってるんだ。
やっぱ、セール札がついてないアバク○なんて。

いや、それにしたってお手頃な衣料品店だって、三越で思い知らされる。
誰が買うんだ?

仕方なくプランタンでモンブラン。
え?パリが本店なんですか?
これだけで終わってしまった。
次回はぜひ路地散策を。

銀座でランチを…
銀座でランチだなんて出かけたはずだが…
一切期待せず。
どうして駅から10歩で捉まるのか?ねぇ。
銀座まであと50mなんだけど。

「表に真鯛のカルパッチョってありましたよねぇ?」とかみさん。
「え?ありません。」と店員。
「確か表の看板に…」
「うちはイタリアンですよ。お隣が中華なんでそちらじゃないですか?」
「いや、たしか…」
「大丈夫ですか、うちで?」
えっとぉ、それは本日の魚の「真鯛のソテー」だろって私が言うのになぜそこまで固執する?

ってぇか、中華にカルパッチョ???
大丈夫か?店員さんよぉ。

ま、ネタをありがとう。
ハナから期待してないだけに、どうでもいい。

さて、「築地から来た魚介のサラダ」。
ま、この界隈、フツーに築地からでしょうねぇ。
ニンジンの冷製スープ。
冷たくて美味い。
夏野菜とベーコンのパスタ。
アメリカンにしては伸びが甘いが。
件の真鯛のソテー。
そんなにイタリアンってプライド持つほどかなぁ。
言うほど不味くもないのでネタにならん。

ただ…

この盛りの多さはアメリカンだ。